東西ベルリン事情
ベルリンは1800年代から戦前まで、ドイツの政治経済、文化芸術の中心で、世界的にも屈指の大都市でした。しかし戦後分断され、西ドイツの政治経済の機能は、首都ボンを中心として各地に分散されていました。その後、1989年11月9日ベルリンの壁が崩壊し、翌年10月3日にドイツ再統一が果たされました。今ではほとんど東側と西側での格差を感じませんが、以前は東欧と西欧の社会体制が全く異なり、国民生活にも歴然の違いが存在したのです。その象徴がベルリンの壁でした。西ベルリンは東ドイツ内に孤島のように存在し、周囲はほとんど壁で囲まれていました。西ドイツ領内から東ドイツへ行くには、検問がとても厳しく、強制両替で東ドイツマルクに交換し、手荷物検査では西側の雑誌や新聞などの情報源は没収され、自動車は車体の裏側まで厳しくチェックされました。